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2018演奏者紹介

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*第5回演奏会の情報については、しばらくお待ちください。
 以下は前回演奏会の情報になります。


指揮者・トップからの一言
(*敬称略)

1部指揮:髙草木典喜
4回目の鈴木静一展。私も今回で3回目となり、今回、また多くの方とご一緒できることを幸福に思います。
私にとっては、まさに鈴木静一の音楽によって、多くの方と巡り合えることになれたということでもございます。そんな特別な音楽です。
今回も第1部を担当させていただきます。演奏する両曲とも、鈴木静一作品の中では比較的メジャーな音楽です。
つまり、曲そのものがそもそも愛される要素を持っていて、だからこそ、多くの方たちに演奏され続けてきた、そんな楽曲たちです。
そうであればそれだけに、私たちで奏でる音楽の意味が強く求められる、ということだと思います。

「鐘の港」、長崎ですね。日本中の街という街の中で最も特異で、そして風情が有り余る小さな街。この音楽、そんな風景が目に浮かぶ抒情詩そのものかもしれません。
「火の山」、それは阿蘇。私は生まれて初めて覗いた火口が阿蘇でした。幼心にも強烈な畏怖を感じた場所であるとともに、常に、”雄大”という言葉と有機的に繋がった固有名詞でした。ただ、この曲はそんな大自然を風景として描くといった代物ではありません。火砕流、津波、震災・・・そういった自然の暴力性と、それに打ちひしがれてもまた上を向く生命の力。音符の奥底に、人の心の奥底を投影し、多くの”人の心”を語っているのかもしれません。

音楽の持つ力が、私たちの記憶にしっかりと刻まれるように、これらの楽曲が言いたいことを少しでも多く掴みとって、みんなでたくさんのことを表現できれば嬉しいですね。
とても楽しみです。

髙草木典喜

2部指揮:小穴雄一
静一展に向けて
夢はつきません。
ふたたびみなさんとご一緒に心ゆくまで静一さんの音楽にひたることにいたしましょう。しかし、これはまだ来年のお話。一年もお預けなんて、なんて待ち遠しいんでしょう!たっぷり時間がありますから、おおいに交流して、わいわいやりましょう。数多交わすことで、曲に対するイマジネーションもどんどん脹らんでいくことでしょう。
さて、今回担当させていただく二部についてひとこと触れておきたいと思います。今回の選曲をご覧になって、おや?と思われた方も多いのではないでしょうか。両曲とも演奏される機会に恵まれていない作品ばかりかも知れません。でも、滅多にやられないものを紐解くという楽しみもまたやりがいのあることかも知れません。二部を一言で括るなら、それはファンタジーということになります。「氷に魅せられたルディ」はナレーション、アルト、アコーディオンやヨーデルまで入る大掛かりな構成になっていますが、ひょっとすると、その大掛かりな編成のために今迄演目に取り上げられにくかったのかも知れません。舞台はスイスということですので、陽気なポルカやマーチも登場するなど、山をこよなく愛された静一さんのおおらかな音楽が満載となっています。ナレーションとのコラボレーションにより、アンデルセンのメルヘンワールドを織りなしてまいりましょう。
続く「月の変容」では、まずはヴェルレーヌの詩に着想を得たとされるドビュッシーの「月の光」を美しく描いてみたいと思います。闇夜を劈くロケット打ち上げの轟音は圧倒的な破壊力をもって表してみましょう。いやぁ、凄まじいですね。重力に逆らって上昇するさまを、あらん限りのことを尽くして描いてみたいと思います。やがて成層圏を超えるあたりで、無重力の空間に飛び出したところでしょうか、トローンボーンが絶妙に響くことでしょう。2001年宇宙の旅が日本で公開されたのは1969年でしたが、あの衝撃的ともいうべき映像が重なります。宇宙(そら)を駆け抜ける飛行体の疾走感と、遥か彼方から時折聴こえてくる月の光のモチーフに静一さんは何を託されたかったのでしょうか?やがて月に降りたったときに目の当たりに荒涼と広がる光景。それは長いあいだ地球から拝めてきたものとは全く掛け離れたものでした。あるいは中間部の暗く閉ざされた音楽にこそこの作品の真価があるのかもしれません。それはドビュッシーが描いたものの対極にある世界となっています。深い悲しみのようなものを、厳かに描いてみたいと思います。
静一さんが描いかれたファンタジーに身を寄せてまいりましょう。
どうぞ、よろしくお願いします。
小穴 雄一

コンサートマスター:小野智明
 4回目の静一展が開催されることになりました。
 一人の作曲家の曲にこれだけの奏者が、それも毎回公募で集まるって、本当にすごいことだと思います。
 ホールに響きわたる氏の音楽は毎回、奏者と聴衆の心をつなぎ、大きな感動を生んできましたが、それはまず奏者の心がひとつになっているからに他なりません。3ヶ月の練習を通じて味わう一体感、この体験は癖になります。
 今回は今までに増してバラエティに富み、氏の懐の深さを味わえる選曲となりました。日本人であることの“個性”を再認識させてくれる鈴木静一の音楽を、個性溢れる指揮者のリードで演奏できる幸せを、今回も存分に味わいたいと思います。

2ndマンドリンパートトップ:大崎和彦
鈴木静一展は2011年、2014年、2016年に続いて今回で4回目となりました。
メンバーの連帯感もさらに強まってくることと思います。
個性的な指揮者の皆様もそれぞれの思いを胸に秘め、着々と準備をはじめています。

鈴木静一さんの音楽は、タクトが振り下ろされたその瞬間から、
タイムマシンやテレポーテーションのように瞬時にその時代、その場所に連れて行ってくれます。
そんなすばらしい楽曲と共に世界旅行、時間旅行をしましょう!!
そして感嘆のひと時を全員で味わうことが出来ればと思います。
よろしくお願いします。

マンドラパートトップ:北川輝彦
静一展に参加させていただいて感じるのは、殆どの参加者は先生の曲が高校大学時代の思い出に直結しているのだなぁという事です。その曲を演奏する事で、青春時代の恋や友情、若さならではの我武者羅な気持ちを蘇らせる事ができるのでしょう。
慶應義塾大学出身という事もあり、現役時代は鈴木先生の曲に触れる機会が少なかった私ですら、この演奏会ではみんなと一緒にトリップしている気がします。
という事で、学生時代に鈴木先生の曲を沢山弾いた方も、あまり弾かなかった方も、この演奏会に参加いただいて、会場全体を巻き込むような熱い演奏を一緒にしませんか?

マンドロンチェロパートトップ:高橋信男
 2年ぶりに静一展の企画が立ち上がりました。
鈴木先生のあの独特の旋律・和声に浸るメンバーが再び全国から集まります。
真っ新な譜面を開いた時、たとえ幾度かの演奏に関わった曲であっても心が躍るものです。
それは指揮者とオケとホールによって、出来上がる音楽が異なるからでしょう。
さてこの度取り上げた「火の山」は阿蘇霧島の火山噴火を題材とした曲ですが、
演奏するに当たり2016年に発生した熊本地震の大災害を忘れることはできません。
第一部は長崎と熊本の曲です。被災された方々に思いを寄せて一日も早い復興を願って演奏したいと思います。

マンドローネパートトップ:古川治
鈴木静一作品としてのマンドローネパートは、楽器個体の数が少ない事やパートとしての記載が不完全な(または無い)曲もあり、各楽団見渡してみると、残念ながら省略をされるか、パートの存在があったとしても極少数…なのが現状でして、パートは元より、楽器そのものの存続が危機的状況です。
そんな状況を現してか、鈴木静一展演奏会でもご他聞に漏れず、なかなか参加者の集まり辛いところがあります。
裏を返せば、すぐ定員に達する他パートに比べて、入り込む余地は大きいとも云えますし、不完全な記載だからこそ、新たなサウンドを生み出すチャンスです。

良かったら、一緒に立ち上がりませんか?

ギターパートトップ:大池栄一
高校受験で試験監督がマンドリンクラブの指揮者で無かったら、高校一年生の演奏会で「失なわれた都」に巡り合わなかったら、四半世紀以上もマンドリンアンサンブルへ参加し続けていたか自信がありません。ヤマハ音楽教室でクラッシックギター独奏しか知らなかった私にとって、鈴木静一の楽曲で大人数で味わう一体感はあまりに衝撃的でした。
大学卒業後も社会人団体で演奏を続けましたが、鈴木静一の楽曲を演奏する機会があまりに少なく、朝錬・昼錬・合宿を通した濃密な交流が感動の源泉と信じていた私はイベント的な演奏会は難しいと思っていました。しかし、2011年の静一展で数回の練習にも関わらず学生時代以上の一体感を味わえました。
静一展では初演で直接指導を受けられた先輩方も多数ご参加頂いています。スコアに書ききれなかった氏のイメージを現代の奏法で更に深化できればと期待しています。

音楽は生きています。

皆さんがそれぞれ心に持っている“鈴木静一”をぶつけ合い、新たな“鈴木静一”を生み出すことで、ステージ・客席の境界を打ち破る一体感を味わいましょう!

コントラバスパートトップ:村里眞美
今回で4回目の開催となります。
もはやオリンピックのような、恒例の定期イベントのようにも思えます。
(オリンピックより間隔が短いですが…笑)
今回もお馴染みのメンバーあり・初めましてのメンバーありの
「一期一会」で「濃厚」な鈴木静一氏の世界をお届けします。
弾きたい派は是非エントリーを!
聴きたい派は是非タケミツメモリアルへ!
ちなみに、私は「どちらもやりたい派」です(^_^;)
体が2つあればなぁ…。

管パートリーダー:三好理英子
鈴木静一の音楽を演奏していると、いつも曲に合わせて風景や情景が浮かんできます。そして、流れる川に手を入れた清々しい感触や、お祭りに出かける前の胸の高鳴り、汽車の窓を開けて顔で受ける心地よい風等を感じることもあります。曲の中に散りばめられたそのような感覚を譜面から音に表現していく楽しさを感じ、管パートでアンサンブルをしましょう。そしてその音がオーケストラの皆さんに伝わって行きますように。
よろしくお願いします!

パーカッションパートトップ:荒木俊行
大自然や大宇宙を前にした時に、僕たちは自分の存在のあまりに小さいことに愕然とします。
偉人達、ヒーロー達の偉業、ヒロインの悲劇等でさえ、大自然の歴史や営みの前には、
ちっぽけなことと思えてしまいます。どんな時でも必ず朝がきて日が暮れ、また日は昇ります。
自然は途方もなく長い間、過去からそして未来へ、えんえんとこれを繰り返しています。
鈴木静一の音楽には、そんなある種むなしさを感じさせるものがありますが、
その中に必ずどの曲にも、そんなむなしさの中でも、たくましく生きて躍動する
人間の力が描かれていて、一縷の救いとなっています。
この力こそが、祭囃子であったり、コンガの響きだったり、バッカナールのリズムなんですね。
鈴木静一の音楽は、明るい楽しい場面の中で、なにか陰りが見えたり、
悲劇的な音楽の中に、なぜか人間の強く生きる力を感じさせたりします。

そんな、人間の力なんてとても及ばない大自然や歴史、
でもその中で果敢に生きる人間たちの強い意思、パワー、
でもそれも、また大自然の中での歴史の一つ という、
生きることの矛盾、でもそれは素晴らしいことという、
ようなことを、音楽で表現できればと思いつつ、演奏したいと思っています。

打楽器の演奏的には、例えば陰りのある楽しい祭囃子。。。。うーーん、難しい。。。。です。